らしいといえば、今日は春らしいとは言えない寒さで、上下ヒートテックにマフラーをした。4月に30代に突入し、一人で初めてのワークショップも開催させてもらった。

その一方で、世界では地震や、爆発がおき、日本では、相変わらず矛盾が横行しているのになにもできない。

考えるべきこと、行うべきこと。

芸術家が世界に及ぼすのはほんの一滴にすぎない。
しかし、共通言語として機能できる希望のある事も確かで、だからこそ、自慰行為的な作品は避けたい。

これからの決意として、良いも悪いも含め、芸術家としての表現を。
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帰り道は寒くて静かだ。

年中吊るしてある風鈴が強い風に煽られ耳の奥まで澄み渡る。

雨上がりの冷気と、誰かが吐いた唾がきらりと反射する家の前の道路に、白いため息を広げた。
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Twitterで、今日は無料の日だと気づいて、遅めのランチのあと、乃木坂に向かった。

六本木アートナイトがらみでのイベントで賑わう美術館に、少し気後れしつつ、展示を眺る。

始めから終わりまで、心地いいリズムで、物語の一部になった感覚、余韻が爽やかに染み込んでいった。

近年は体験型アートというか、まるで遊園地に来たかのようなアートイベントが主流になっている。それは素敵な事だし、アーティストにとって大きなチャンスです。さて、アートのきらきらした表情の裏側には何があるのだろう。



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この日まで、多くの言葉や表現で、各々が深い問いと向き合ってきた。
辿り着けることではないのかもしれない。
間違いないのは、起きてしまったことはもう元には戻らないということ。

きっと複雑に考えることより、できるかぎりシンプルにするほうがいいとおもう。

考えることが増えると苦しいから。

なぜ、どうして、もし、だったら。

それでも、だから、きっと。

時間は黙々と進み、過去を増やす。

できることを、できるように。



ここ数日は様々な出会いに恵まれ、色々考えました。
沸々と煮えたぎる問いに突っ込もうと思います。

「好き」
彫刻家:ミケランジェロ、ベルニーニ、メダルドロッソ、ブランクーシ、マリノ・マリーニ、リーメンシュナイダー、エルンスト・バルラッハ、シュテファン・バルケンホール、砂沢ビッキ、安田侃、高村光太郎、、、

写真家:フィリップ=ロルカ・ディコルシア、トーマス・ディマンド、エルンスト・ハース、川島小鳥、川内倫子、、、

哲学、物理、学問、POP、神秘的、古いもの、新しい考え、伝統、謎、自然、ゆらぎ、物質じゃない何か。

以上、今の自分が惹かれるものについてです。

・説明になってはいけない。

・存在の不確定性。

・観測できなければ、解るとはいえないが、有るのは間違いない。

・根元的に感情が動かないと、どんな崇高なコンセプトでも、それを、写真や彫刻で表現する必要かあるんだろうか?

・作る、撮る、描く、、、何にしても、行為そのもが気持ちいいので、好きなだけならそれで幸せだけれど、社会とコミットするには、ルールに乗っ取り、戦略が重要な時代。

・芸術家は、ヒエラルキーの最下層である。

・作ったものがどうあれ、自分自身に正直で、楽しんでつくった作品を、誰かがその人なりに、素直に楽しんで貰いたい。

・鍵となるとは、本能が先(表)にあって、理性(裏)で支えることなんだろう。